初めて、Visual Erasure Poem を作ってみました! Visual Erasure Poem とは、元になる詩を、インクなどで文字を消して、自分なりの新しい作品に仕上げていくことです。 Visual Erasure Poem の書評はこれまでにもたくさん書いてきましたし、授業も大学で教える機会は何度もありました。 が! (教えているくせに!) 一度も作ったことがなかったので、今回挑戦してみました。 ちょうどいい感じのサイズの詩が、ベストタイミングで、Francesca Preston より届きました。 左側は、本来のFrancesca Preston が書いた詩です。 右側は、Visual Erasure 過程後の、私の作品です。 もとの詩は、シニカルというか、独特な世界が広がっているので、もっと、それが面白くなるように、オリジナルの言葉を消していきました。 文字を消すには、折り紙の切れ端を使うと、カラフルになって、原書のタイトルにも合うし、この新しい作品を「紙人形」にしたときに、色がかわいらしいかなと思い、「糊と紙切れ」を使って、仕上げました。 原書タイトル「Glitter」 は、グリッター、(お化粧品などに入っている)キラキラのラメ。 G を消してあげて、Litter と新しいタイトルにしました。 「Litter」にしたのも、ちょっとした意味があって、 Litter の意味は、
最近のマイブームが、お雛様も近いことですし、「紙人形」を作って、お友達に贈ることです。 母が、「ゴミ、贈ってるの!?」 「切手一枚で、どこにでも届くのだもん!」 母との会話をFrancesca Preston に話しながら、作品を見せると、 "That's pretty funny about your mother - she has a keen ear. "Litter" = Trash" と、寛大に受け入れていただきました。 「ゴミ」とか、題にして、ちょっと怒られたらどうしようと思っていましたが。 最近、出したお手紙の返事が届き始めて。
ちょっとびっくりだったのが! お返しプレゼントも一緒に届きました。申し訳ない。。。 母が、「わらしべ長者みたいね。」 気軽に送った、紙人形。 糊が剥がれて、事件性を思わせる姿で届いていないと良いのだけど。
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小さいころから、家族もみんなクラッシック音楽が好きなので、ドライブ中や作業中は、ローカルラジオか、NHKの音楽番組とか、レコードを聴いています。 「なんとなく、そうなるよね~」 妹も、暇なときは、クラッシック音楽らしいです。 学生時代、冬休みに帰国していたとき、ちょうど「のだめカンタービレ」が流行っていたので、妹が 「全巻借りてきたから~あと、パパが歌ってくれるよ~。」 寝っ転がって読んでいて、 「あのさ~パパ、ベートーヴェンのさあOOってどんなの~」 と聞くと、「ラーラー」って歌ってくれました。 「あ。そうそう。そうだよね~」 冬休み最後の日、飛行場へ向かう車の中まで読んでいましたが、全巻読破しました! "We love classical music!" You Tube Channel が好きでお仕事の合間によく視聴しています。
バイオリンニスト篠崎史紀さんは、演奏家だけではなく、画家や作家、アーティストを育てるうえでも、とてもためになるお話をされています。 授業では教えてくれない、裏方さん達がやってくれると思われがちな、大切なお仕事過程。 演奏リサイタルに向けてチラシ作りをしたり。 プログラム作成にはストーリが必要で、聴いていて疲れないように、同じような「調べ」(ハ長調の曲のみで、プログラムを完成させるように)で構成しないといけないとか。 篠崎史紀さんは、その過程を、「シェフ」と「コース料理」に例えていますが、ファッションショー開催でも、詩集アンソロジー作成にしても同じことが言えます。 英語では、Coherence と表現しましょうか。 アメリカの文学部では、書き方の技術や、読み方、文学議論の仕方などの授業が常時あるわけではなく、クラスメイトと文章をシェアしながら、意見を交換していくのが主流です。 先生は、「議長」みたいな役割で、新しい視点を定義してくれたり、議論が脱線しないように、見守ってくれます。 その後、卒業した後、「どうやって出版していくか」「ビジネスの部分」「朗読会の開催方法」「コミュニティーの作り方」などは、教えてくれません。 私も、ようやく軌道に乗ってきたところで、大学卒業後10年です。 Richard Hugo "Triggering Town" では、先生は生徒に近道を教えないといけないと言っていますので、授業を教えるときは、私の10年分をなるべく凝縮しています。 「パパ~OOの曲歌って~」 「はいよ~」 と簡単に答えは返ってこないのです。 Working On Gallery で、エッセイを集めるようになって、好きなことを、好きなだけ追求する作家は、時間はかかりますが、最終的に、その人にしか作れない物や文章を仕上げる力を与えられると思うようになりました。
最近のお気に入りでよく読む「ものづくり生態図鑑」には、20年くらい時間をかけて、自分のスキルを磨きながら作品を高度に仕上げる作家さんのお話など、面白い作品プロセスインタビューが掲載されています。 アーティストは、「頭から離れられない何かを探求する心」が大切だと思います。 英語では、Obsession と表現されます。 ちょうど、百人一首のお仕事の区切りがついたので、新しいこと何か初めていけるといいなと思います。 「おばけ」が出そうな雰囲気の古い建物が苦手です。 独立戦争の頃から現役の宿場などなど、アメリカにはたくさんあります。 地震大国の日本と違って、外国では100年以上昔に建てられた家をリノベーションして、皆さま素敵に住んでいらっしゃいます。 朗読会に呼ばれると、大変親切に、その土地で有名な歴史的ホテルを予約してくれるのです。が! 「あ~」 出発する前に、ホテルの場所をインターネットで確認すると、 「出そう。」 できるだけ、ホテルの詳細や歴史を詳しくリサーチしないように心がけますが、毎回家族がうんざりするほど、大騒ぎになります。 アンティーク家具とか、かわいらしいお人形さんは、美術館やお店で見るのは大好きなのですが、一緒に、暗い部屋で滞在するのは、 「あ~」 なんです。 先日も、由緒正しいホテルに泊まらしていただいたとき、 「あ~」な感じだったので、 ハンガリーに住む友人に、M1グランプリのインディアンズが面白いと聞いたことを思い出し、寝転がりながらグーグルしてみました。 「髪の毛が伸びる人形の家」のお話でした。 一番聞きたくない内容じゃん! と思ったのも遅し、最後まで聞いてみることにしました。 どんなリンスしているの。な感じの女子会トーク。
この漫才にどんなに救われたでしょうか! これから、ホテル滞在中、ちょっと怖いなと思ったときには、これを聞いて寝ようと思います。 今回の Working On Gallery のゲストは、Kelsey Zimmerman さんでした。
始めて作品を Indianapolis Review で拝見したとき、「ビジュアル・イレイシャー・ポエトリー (Visual Erasure Poetry) だけど、何かが新しい!」と思って、速攻、雑誌編集長 Natalie Solmer に連絡しました。ナタリーさんとは、アメリカ中西部つながりもあって、親しくさせてもらっています。 「どうやって作品を作ったか過程を教えてくれませんか。」 と、突撃インタビューをすると、断られることも多いですが、ゲストのケルシーさんは、気さくに、詳しく制作過程を教えてくれました。 「やっぱり、新しかった。」 と言うのが、私の感想です。 彼女の作品は、近年(1980年ごろから現在の)ビジュアルポエトリー作品に影響を受けており、自身で撮った写真とコンピューターを使って、Erasure Poetry を作っています。 Erasure Poetry とは、既に出版されている本を土台として、その本から、文章や文字を消去し、自分なりの新しい文章を掘り起こしていく作業です。 そこで大切なのは、原書になる本の選び方です。 原書と、消去した後の文章を比べたときに、「新しい視点」や「面白い定義」ができているかが評価される基準になります。 例えば、Jennifer Sperry Steinorth の作品は、1931年に出版された本が原書として使われています。男性読者専用に書かれた美術書ですが、彼女のすごいところは、絵と共に、その原本の文章や言葉を使って、「女性の声」を開拓しているところです。 ケルシーさんの原書は、”Pandemic”(世界流行の病気)という題で、まさしく、今にピッタリなお題。 しかも、自分で撮った写真を、コンピューター加工しているので、統一感がある美しさが彼女の強み。そこが「新しい」と感じた理由ではないかなと思いました。 取るに足らない、日々日常の写真を家族とシェアしています。 鏡開きが終わって、「今週暇だ~」と思ったので、YouTubeをみながら、丸餅が入っていたケースに、まずは、GLYPH のマスコット、GLYPYを描いてみました。 そうした ら! 普段スルーの妹から、 「スゴ」 と、二文字が。 母や、おばからも返事が届きます。 ちょっと得意な気持ちになったので、「じゃあ最後まで塗ろう!」と。 12月、日系スーパーが鏡餅を入荷するタイミングで、すばやく購入しないと、手ごろなサイズの鏡餅は速攻で売り切れます。 ここ2年、コロナ禍で、皆さま日本へ帰国されない方が多いのか、入荷も少なかったのか、鏡餅があっという間に売り切れました。 クリスマスツリーは飾らないときも多いのに、お正月飾りは、毎年マストです。 「鏡餅いつ頃入荷されますか」と、11月末ごろより、気合満々で挑みます。 最終的に、コンセプトは、
毎年お鏡餅を飾れること。 鏡開きが無事に迎えられること。 お汁粉でおいしく頂くこと。 鏡開きが終わった後、資源ごみになるプラスティックケースに、YouTubeをみながら落書きができること。 それを褒めてくれる家族がいること。 これを当たり前と思ってはいけないなと思いました。 写真のピンボケや、焦点が合わない淡い光達のことを、Blur や Bokeh というので、タイトルは、「Bokeh」。 髪の色が、紫から青に変わりました。
が、しかし! どの写真で見ても「黒」。 安藤忠雄さんがリノベーションした 659 Wrightwood の中で、自然の光がたくさん入ってくるにもかかわらず、「黒」。 オンラインイベント映像でも「黒」。 私には、「黒」にしか見えない! (枕カバーのみが素敵に染まっていくぜ。) せっかく、青にしたのに~。 でも、笑っちゃうのが、 英語のレッスン中のちびちゃん達、 「髪青い!」 「今度はもっと水色にしてね。」 「いい感じに青!」 ピュアな子供たちにしか、この青は見えないのではと思ってしまう。 「一緒にOO制作しませんか。」 「OOのイラスト書きませんか。」 「OO雑誌のプロモーション一緒にやりませんか。」 「コラボレーションどうですか。」と、お話やメールをただきます。 "Thanks for thinking of me" ありがたいことです。 が。 ちょっと複雑な気持ちになってしまうのです。 コラボレーションとは、「2人以上で、協力して、一から作品を作り上げること。」 簡単な例を挙げると、お料理。 2人で、今夜作る晩御飯を決め、スーパーへ行き、予算内で買い物をして、キッチンで夕食の準備をする。 2人で、「じゃあ今日はカレーにしよう!」と目標を決め、 「カレーだけど、お肉なしの豆腐カレーがいいな~」 「木綿?絹ごしどちらにする?がんもどきもおいしいよ。」 「スーパーで、今日のセール品をみて考えよう。」 などなど、2人で目標に向かって「議論」していきます。 その時、 「カレーは牛肉じゃないと嫌よ。」や、 「カレーは昨日食べたから、親子丼が食べたいわ。」 「ご近所さんも食べたいって。」 と言われたら。 そして、相手が途中で野球中継をみだしたら。 返事が返ってこなかったら。 コラボ企画は、3人以上の大人数になってくると、目標へ向かう道のりがもっと複雑化していきます。 当たり前のことです。 実際、お話を頂いたコラボ企画は、面白そうだけど、本当にやりたいことなのでしょうか。 Writers spend their lives building careers and reputations because doing so gives us the leverage and freedom to tell stories that are personally resonant and important to us, not so that we can tell your stories. We don't need some stranger's ideas, we don't want to risk being sued, and harassment is not the appropriate response to either of those preceding clauses. ちょっとした「もやもや感」が続いていたので、この本に出会えたことは、嬉しいことでした。 最近のブームで、詩・物語と共に、絵が描いてある本、ハイブリット文学やビジュアルブックなどと呼ばれている本がたくさん出版されています。 また、春には、国際翻訳週間などもありますので、 「OOを一緒にすると、実際あなたが得なのよ。」 と言葉巧みに誘われるのです。 自分のキャリアに必要か、必要でないか、自由に決めること大切だと思います。 Don't waste your golden summers chasing someone else's dream. Because we don't get many of those. 「小説真髄」を読んでいると、坪内逍遥の創作興味・過程が見えてくるような気がします。 翻訳、舞台製作、教科書作りなど、いろいろなことに関わって、偉人です。 坪内逍遥が作詞した「新曲浦島」の長唄を聞いてみました。 このYouTube番組では、女性が出演されていてかっこいいですし、音の強弱、テンポも演出されていて、現代音楽としても楽しめると思います。 いろいろ番組を拝見させていただきましたが、芝居の最初約20分、浦島太郎が登場する前の場面がほとんどの演目でした。 現代のアメリカにて、まず第一に小説の書き方で教えられることは、「どこから」の「誰」が主人公かを明確に詳細記載することです。 例えば、アメリカベストセラー作家 J. Michael Straczynski (J・マイケル・ストラジンスキー)の ”Becoming a Writer / Staying a Writer” を参照にすると、主人公は、ニューヨーク出身というだけでは足らず、 29th St.で生まれたOOからの移民で、OO語も話す、OOな家庭に生まれた人です。 などなど、読者が仮想体験できるくらい詳細を書かなくてはいけないとしています。 坪内逍遥も、「人情」(ありのままの心)の描写が大切だと言っていますので、人物描写は、現代と同じような見解です。 しかし、この「新曲浦島」の情景描写を聞いて、ふと思ったことは、「雨が降ってるよ~風がふいてる~」など細かく説明されているのですが、土地や、場所の指定が明確ではないなと。 渤海 (ぼっかい)中国北部の海の描写から、3つの島根(出雲国・石見国・隠岐)と歌詞にはありますが、平安時代の和歌では、川、山、浜の名前がしっかり組み込まれ、和歌を理解する重要な役割を担っていることを思うと、「新曲浦島」の場所は漠然としすぎているのではないかと。 本当に、「新曲浦島」は、昔話の浦島太郎の現代バージョンアップ版なのでしょうかと思ってしまったわけです。 昔話について、坪内逍遥は、 されば奇異譚と寓言の書(フヘイブル)とはその外形は同じうして、その内質は同じからず。前者は娯楽を目的とし、後者は風誡(ふうかい)を真相とす。フヘイブルの物語は、浮屠(ふと)氏のいはゆる方便にて、その眼目にあらざるから、その脚色も単純にて、只皮相をのみ閲(けみ)する時にはいと淡くして味なし。されども倩々玩読(つらつらがんどく)してその隠微をしも味ふときには、所謂寸鉄(すんてつ)人を殺す深妙の旨趣を見る事あり。「猿蟹合戦」の物語、又は「桃太郎」の昔話、「舌切雀」、「かちかち山」、皆フヘイブルの部類にして、その皮相なる物語はきはめて甲斐かいなきものに似たれど、その真相を見るに及びて頗(すこぶ)る深意ありと思はる。 「猿蟹合戦」などの昔話は、道徳心を養う読み物として意味のあるものだと思われるが、時代や語り手により、原型は多様に変化されているので、現代の読者には何を風刺しているか伝わらないし、物語芸術の価値は少ないだろうとしています。 なので、 かかれば奇異譚の作者ばらは、つとめて新奇の趣向を案じ、その脚色を複雑にし、その物語を長くものし、ますます時好に適するやう意匠をかまふることとなるべし。 時代によって、昔話を長くしたり、現代風にアレンジするなど工夫しないといけないだろうと書かれています。 「新曲浦島」は、最初の20分間が、現代バージョンアップ版として進化していると聞きました。 しかし、描写を細かくして、当時でも難解だと言われた歌詞に音楽を付けたからと言って、「バージョンアップ」といえるかなと。 J. Michael Straczynski (J・マイケル・ストラジンスキー) は、 It took years for me to understand that regardless of genre or medium, the audience is there for the characters, not the technical gimmick or the cool idea... 読者は、主人公と経験を共にしたくて本を読むのであって、派手な演出や、新しい視点を求めているわけではない。読者が共感する人間関係をサイエンスフィクション(SF)設定で再現することが大切だと。 「浦島太郎」も、一応、SF小説の部類に入るかなと。 読者が共感する人間関係は、浦島太郎と亀の友情や、乙姫様との結ばれない恋愛ともいえるでしょうか。 「新曲浦島」の発表は、 音楽や、長唄の演出により、日本現代文化かっこいい!という点では評価されています。 しかし、観客が、浦島太郎と一体になって、未知の世界を疑似体験したかというと、ちょっと疑問を感じてしまいます。もしかしたら、「かっこいい」以上に深いところまで繋がらなかったのではないかと思ってしまうのです。 形容を記するはなるべく詳細なるを要す。我が国の小説の如きは、従来細密なる挿絵をもて其形容を描きいだして、記文の足らざるをば補ふゆゑ作者もおのづから之に安じ・景色形容を叙する事を間々怠る者すくなからねど、是れ甚だしき誤りなり。小説の妙は、特り人物をして活動せしむるにとどまらず、紙上の森羅万象をして活動せしむるを旨とするものなり。 この段落を読んだとき、自身のグラフィックポエトリープロジェクトは、自然と日本文化の流れを受け取っているのだなあと再度思いました。 絵巻に感化され、2016年より、英語で書かれた自詩を「言葉+絵」に変換しています。 "GLYPH Graphic Poetry = Trans. Sensory" (Tupelo Press) はおかげさまで、たくさんの方々に読んでいただいております。ありがとうございます。 左側、"Thursdays"の英詩は、オレンジの部分が言葉として残り、右側の"On a Black Hill"グラフィックポエトリーに変換されています。 面白いなと思ったことは、右側のように、絵に移行された部分は、主に「名詞」や「形容詞」でした。 坪内逍遥は、従来の日本の物語にて、形容詞などを使って主人公や背景を描写するのではなく、絵を使って形容詞を表現していることを怠慢と言っています。 歴史的な絵巻も、話+絵と交互に成り立っていて、絵は、お着物の色や、小物、花、スポットライト風の背景色使いによって、ストーリーを補助しています。 源氏物語も絵の部分は、話を理解するうえで大切なことと専門家の先生方はおっしゃっています。 話+絵がバランス良く配合されている、日本独特の絵巻物語手法は、怠慢というべきか。 話と絵の手法は、ヨーロッパ文学でも多く見られます。ダンテの新曲も絵で地獄階層を説明していますし、ウイリアムブレイクの詩にも挿絵がついています。 ただ、話と絵が別々に存在していると思います。 日本の絵巻のように、話+絵が一体化はしていません。 話+絵の共存。 これからも考えていきたいと思います。 坪内逍遥「小説真髄」 「小説真髄」を読んでいると、いろいろ考えさせられることがあります。 お仕事上、アジア各国から提出された、英語に訳された詩を読んで、雑誌に掲載されるかどうか意見を問われます。 その時、だいたいの英翻訳は、なんだかしっくりこないのです。 きれいな情景だったり、アジア特有の美だったり。 素敵な詩は、山ほど送られてきます。 でも、なぜ、アジアから提出される英翻訳された詩は、違和感があるのだろうと。 坪内逍遥の「小説真髄」で、優れたヨーロッパの作品は、口語体で、人情(ありのままの心)が書かれているとしています。 例えば、現代のベストセラー米詩人Ocean Vuong (オーシャン ヴュオン)の作品は、口語体で、ありのままの自己・心情が描写されています。英語文型は、とてもシンプルなのですが、流れるような音フレーズで書かれています。 バイデン新大統領の就任式で詩を朗読した、Amanda Gorman(アマンダ ゴーマン)も口語体で大衆の希望の心を代弁している詩を書いていると思います。 もし、欧米で受け入れられる詩が、「口語体で人情の表現」であれば、アジアの詩は、「人情」がない、情景描写だけの詩も多いので、さて、どうしたらもっと英米読者に支持されるようになるか。 写実主義の正岡子規の俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」を直訳したならば、「人情0」です。 「四季や人生を感じる」とか、「子規の病気のこと」とか、この一句の背景をご存じであれば、「人情0」ではないよと、反論される方も多いでしょう。 そこで、思い出したのが、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したおはなしです。 最初に生徒が「我君を愛す」と日本語に訳したところ、夏目漱石は、「日本人はそういうことを言わないから、月が綺麗ですねにでもしましょう」と提案されたそうです。 日本語では、 「我君を愛す」は文語体。 「月が綺麗ですね」は口語体。 夏目漱石は、日本の文化と、口語体を考慮して、「月が綺麗ですね」と翻訳プロセスを踏んだとしたら、アジア文学を英翻訳するには、この逆のプロセスをたどれば良いのではないかと。 文語体 (漢詩、和歌、万葉仮名など)で書かれた「人情」が直接表現されていない詩は、口語体で「人情」を含めた解釈で翻訳すればよいのではないかと。 「小説真髄」もう少しかじりついていきたいと思います。 坪内逍遥「小説真髄」 発端は、Lúcia Leão が、蜷川幸雄シェークスピアの劇作品について、Working On Gallery にてエッセイを発表しました。その前置きを書くのに、シェークスピア復習・勉強中、 「ワー!坪内逍遥は、名古屋の旭丘高校出身!ご近所じゃないですか!?」と勝手に親しみが沸いたからです。 学生時代、坪内逍遥のシェークスピア訳には、とてもお世話になりました。しかしちょっと日本語が古めかしいので、内容をサクッと理解するうえでは、小学生の頃父に購入してもらった、講談社青い鳥文庫の子供向けシェークスピア作品集が好きでした。 「小説真髄」で、坪内逍遥は、ヨーロッパ側の作法に重点を置き、「小説・詩の書き方」を日本と比較して、日本文学の書き方を批評しています。ものすごく、欧米の文学科1年生が実践する論文のアプローチ方法ではないですか! その「小説真髄」を書くきっかけとなったのは、東洋的思想から導きだされた、ハムレットの「ガートルードは悪女である」という論文に、ホートン教授によって芳しくない成績を付けられたからだそうです。 シンプルに善悪や道徳心で物事を判断するのではなく、色々な方向から思想を展開していくのが欧米式。(現代の英米教授たちは、「ガートルードは悪女である」って面白がって、もっと東洋式思想を読みたいと思う方々も多いと思うのですが。) 坪内逍遥、興味深いなと思うことは、比較文化に関心を持った素直単純な学者だったのか、英米式に書いて認められてやるとエゴが強かった作家なのか。 さてさて、 日本近代文学の歴史は、このYouTube番組がとてもわかりやすく説明していますよ! 私の好きな、正岡子規のことも、最後の方でお話されています。 正岡子規は、写実主義(写真を撮るようにリアルに俳句を詠む)者です。自分で体験して、その話や感情を忠実に書くという手法です。なんでも体験したいタイプだったようで、病気にもかかわらず遼東半島へも出向いています。 だから、空想が入る、ちょっとドリーミーな感じの和歌は苦手なのかと再度納得しました。 「小説真髄」で気になったところは、 ポエトリイは我が国の詩歌に似たるよりも、むしろ小説に似たるものにて、専ら人世の情態をば写しだすを主とするものなり。我が短歌、長歌のたぐひは、いはゆる未開の世の詩歌といふべく、決して文化の発暢せる現世の詩歌とはいふべからず。かくいへばとて、皇国歌をいと拙しとて罵るにあらねど、総じて文化発達して人智幾階か進むにいたれば、人情もまた変還していくらか複雑とならざるべからず。 (ここで言う、ポエトリイは、オデッセイなどの欧米クラッシック詩作品。) 和歌を「未開の世の詩歌」言い切ったところ! フェノロサが、日本文学を危惧した心わかる気がします。 日本の和歌は、写実主義に寄り添う感じの、自然を描写した作品も多いですし、善悪などの結論にいたらない複雑な恋の歌もあります。 万葉集は、文語体(漢字・万葉仮名)で書かれていても、農民や平民が詠っていたりするので、口語体のような、写実主義要素も多いと思います。 シェークスピア劇の一文に出てきそうな、和歌もあります。坪内逍遥の好きなシェークスピアも写実主義には絶対忠実とは言えないと思うのです。 This goodly frame, the earth, seems to me a sterile promontory, this most excellent canopy, the air, look you, this brave o'erhanging firmament, this majestical roof fretted with golden fire, why, it appears no other thing to me than a foul and pestilent congregation of vapours. What a piece of work is a man! how noble in reason! how infinite in faculty! in form and moving how express and admirable! in action how like an angel! in apprehension how like a god! the beauty of the world! the paragon of animals! And yet, to me, what is this quintessence of dust? ― William Shakespeare, Hamlet このハムレットの抜粋も、修辞法を使って、物事を言い換えながら、テンポよく書かれています。 坪内逍遥、とっても気になっています。 坪内逍遥「小説真髄」 2021年は、RHINO READS でおしまいと思っていましたが、急遽、立て続けにオンラインイベントや、インタビューの機会をいただきました。ありがとうございます。 先週は、The Brooklyn Rail の YouTube チャンネルにて、画家&彫刻家 Elizabeth Murray (b. 1940, Chicago; d. 2007, New York) 作品の対談後、閉幕の詩を読まさせていただきました。 Elizabeth Murray は、初めて聞いた現代美術家。 しかも、討論会に出席される方々は、皆様とても素晴らしい美術家ばかり。 (Manager & Curator of the Estate of Elizabeth Murray Jason Andrew and artists Yevgeniya Baras, Deborah Kass, and Rachel Eulena Williams join art historian and writer Nancy Princenthal for a conversation on Elizabeth Murray. We conclude with a poetry reading by Naoko Fujimoto.) お仕事のお話をいただいてから速攻、オンラインで集められる資料は、ほとんどすべて読みました。 面白い対談後、閉幕の詩で場をしらけさせてはいけない。。。 久しぶりに必死にお勉強をしましたよ! なので、 皆さんのお話の内容、引用文献はわかりました~ あとは、YouTube に大変助けられました。 初めて Elizabeth Murray の作品を見たとき、Frank Stella に似ているなあと。 Frank Stella の作品は、いろいろな都市で見たことある! Quote from Elizabeth Murray's Website Elizabeth Murray は、作品を比べられたり、女性美術家と言われることをあまり好まなかったと聞きました。 よくよく観察してみると、Frank Stella の作品と、材料、色彩、全然違います。 Frank Stella は、アルミや鉄鋼で土台を作っていますが、Elizabeth Murray は、布キャンバス地や木の枠の形を変えて構成しているように見えます。 インスタグラムや、写真を正面から見ると同じように思える作品はありますが、違う角度から見たり、作品の経過観察ができると、美術家の個々のプロセスが見えてきます。 イベント後、こんなコメントをいただきました。 とても嬉しかったです。ありがとう。
YouTube 1:16:50 (1:28:04)頃、閉幕の詩が始まります。 Chloe Martinez、今年大活躍だった一年だと思います。RHINO Poetryでは一作品が発表され、The Word Worksでは2冊目の詩集も出版されました。1冊目のCorner Shrineは、The Inflectionist Review で私もリビューを書いています。来年も忙しそうです。
「RHINOに出版されるのは、Big Deal でうれしかった!」とおっしゃっていました。 Ariana BensonとJalen Eutseyは、RHINO Poetry学生アシスタントでした。夏期間、数千にも及ぶ応募された詩をひたすら読むというお仕事。助成金が出るとはいえ、大変なお仕事です。 しかも! 2人とも、とても賢くて。新しい視点から詩を解読していくので、一緒に活動していてとても刺激をいただけます。通常、編集部員は朗読に参加しないのですが、今回は特別に参加していただきました。 司会を一緒にしているLizには、いつも助けられています。 ほぼほぼ準備はLizで、さて、私は何をしているのでしょうか! 一番楽しめるお席で観客。とてもラッキーです。 クレイ マッコーリー (1889年より、約30年間日本へ滞在したユニテリアン派の宣教師)が、百人一首を訳していたことをつい最近知りました。 20年くらい前のウエブサイトになりますが、バージニア大学がクレイ マッコーリーの訳を載せています。 MacCauley, Clay. Hyakunin-Isshu (Single Songs of a Hundred Poets) and Nori no Hatsue-Ne (The Dominant Note of the Law). Yokohama: Kelly and Walsh, 1917. In addition to Romaji and English, includes a useful interlinear Romaji-English literal translation. グーグルを続けていたら、クレイ マッコーリーが執筆した日本語の教科書を発見。 "An Introductory Course in Japanese" 内容が面白過ぎる。 ローマ字、日本語、英語が混ざって斬新。 小倉百人一首を英訳している過程で、大学受験生用のウエブサイトはとても役に立ちます。 日本は、要点を素敵にまとめた学習サイトがたくさんあって、勉強家な国なんだな~と思います。 今回は、枕詞をどうやって訳したかプロセスをお伝えしようと思います。 枕詞とは、和歌の初句に置かれ、その後に出てくる特定の言葉を導くため。 受験用ウエブサイトでは、有名な枕詞がリストしてあります。 あかねさす→日 あしひきの→山 あをによし→奈良 いそのかみ→降る、古る うつせみの→世、命 くさまくら→旅 たらちねの→母 ちはやふる→神 ぬばたまの→夜、夢 ひさかたの→天、空 小倉百人一首第17番、在原業平の ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは という歌では、 枕詞は、ちはやふる 。 神という言葉を導いています。 ここで、興味深いことは、「枕詞自体に意味はないので、訳出する必要はありません。その代わり、枕詞が導いている言葉は確実に訳出するようにしましょう。」 と、参考書、小倉百人一首教科書には書かれているのです。 大学受験やテストでは、枕詞と導かれる言葉を覚えるだけでよいですが、 「ちはやふる」って、とても素敵な言葉だと思います。 さて、 どうしましょう。 和歌の要約は、 神様たちが生きていた時代にも聞いたことがないくらい、龍田川の水が絞り染め(くくり染め)のように紅色に染めあがって美しい。 枕詞は、ちはやふる で、神が導かれていますが、ここの「神」という言葉は、外国と日本文化では、受け取り方がまったく違うことです。 世界各国の「神」は、おおむね一神教。 日本は、万の神。 「God」という一神教の言葉を英訳にいれると、パワフル過ぎて、「訳出する必要のなり枕詞」をものすごくハイライトすることになります。 それはちょっとこの和歌の意味ではないかなと感じ。 天国ー天界という意味を込めた、Flaming heaven を使うことにしました。 Flaming heaven は空想的で、「ちはやふる+神」を表すのに面白いのではないか。 さて、
私が好きな翻訳家たちは、どうやって枕詞を訳しているでしょうか。 Kenneth Rexrothは、「Gods」と複数形にして、万の神を表しています。
特徴的なテクニックは、翻訳にBlueが入っているので、川の「青」と紅葉の色をコントラストして、染め物を表現しているのが、視覚的です。 Dennis Maloney and Hide Oshiroの訳は、「God」という言葉は入っていません。
赤が red ではなく、crimson と表現されています。 私も、crimson (a rich deep red color inclining to purple) のほうが、この場合の和歌に似合っているのではないかと思います。 Peter J. MacMillan は、Beautyとはっきり最初の一行に表現してあります。 赤と色を決めず、autumnal colors と訳しているところが、外国人読者にもすぐわかる、秋の描写だと思います。 そこで、和歌は、5‐7‐5‐7‐7の音節ですが、 5行 1節 5 lines 1 stanza で翻訳家のみなさんは、表現されています。 日本語音節5‐7‐5‐7‐7を、英語音節 syllables にしっかり受け継いでいる方も多いです。 私は、英訳に、日本語の音節ルールを当てはめる必要はないと思います。 なぜなら、外国語の音節を重視過ぎるばかり、大切な、英語の美しい響きを無視する可能性があるからです。 和歌は、歌。 やっぱり、音楽的響きが大切なのではないかと。 しかも! 「つまらないぜ。」 って、いつも思っていました。 例えば、百人一首の書道は、 ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは と一行表現だったり、 ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは 2行だったり。 ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは 5行だったり。 もちろん、紙のサイズや、文字の形、本のレイアウトの関係もありますが、「これでないといけない」という決められたルールはありません。 しかも、この和歌は、龍田川の擬人化と、「水くくる」という言葉が、美しさを強調していると思うのです。 「水くくる」は、水をくくり染め(絞り染め)をすることです。 「水」は、漢字。 「くくり」は、ひらがな。 文字の絶妙バランスは、まるで川の流れや絞り染めをも表現しているよう。 龍田川さん(擬人化)は、川の水で、絞り染めパターンを作っている。 って感じしょうか。 みなさん翻訳家さんたちは、主語に龍田川を使用して擬人化を強調しています。 しかし、絞り染めの様子、川の流れ感は、5行1節からは、想像できません。 なので! 今回の翻訳は、 龍田川の擬人化 (Tatsuta River) と「からくれなゐに (foreign crimson)」の色を独立、強調させて、 flows concentrically dyed と、川の流れ、くくり染め絞りの様子を、ラインブレイクで表現してみました。 最近、「なおこは、和歌の翻訳をしている」と my tribe (詩人仲間) に広まって、俳句の授業だったり、和歌文化についてスピーチがあったり、英米式俳句の編集に携わったりしております。 日本文化のお話をする機会をいただいて大感謝です。 日本語を母国語としない作家さんたちは、「俳句」「随筆」は、けっこう知っています。 俳句=松尾芭蕉 随筆=エッセー=兼好法師、清少納言 こんな感じで、 "Haiku Master, Basyo!" "Zuihitsu, The Pillow Book! (枕草子)" みなさん、アメリカンなノリで答えてくれます。 そして、ちょっとマニアックに、小野小町や、光源氏のモデルと言われている藤原道長を知っている方は、絶対に聞いてきます。 和歌、短歌、俳句、川柳の違いを教えてくれ! ちょっと間があって。 簡単に! 異国の文化なのに、探求心があって、みなさん素晴らしい。 でもこの質問。急に来られると困っちゃう。 日本人でも、違いがすぐに答えるのは難しい! 和歌
和歌文学は、俳諧文学と同じく、日本独特の短詩型文芸です。 5-7-5-7-7の音節で、合計37文字で構成されています。 「ひらがな」ができた平安時代初期に、万葉仮名に代わって、たくさんの和歌が詠われるようになりました。 藤原定家がまとめた、「小倉百人一首」は、和歌の代表作ばかりです。 音節は、syllables と英語では言いますが、日本語と英語の音節の数え方はまったく異なるので、直接に和歌のルールを、英語に当てはめるのは、難しいかと思います。 しかも!
翻訳するのにどう表現するか、時間がかかる言葉たちでもあります。 余談ですが、 このYouTubeでは、百人一首を当時の発音で朗読されていて、今の日本語の発音と全然違います。 なんだかおちょぼ口でお話している感じ。 かわいい。 和歌は、短歌・長唄・旋頭歌(せどうか)などの総称でしたが、長唄・旋頭歌に比べ、時代と共に生き残った和歌と短歌は同じ扱いになっているようです。 短歌も、和歌と同じ5-7-5-7-7の音節です。 短歌といえば、正岡子規です。 正岡子規の作品は、青空文庫でたくさん読めます。 個人的には、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に出てくる、正岡子規が好きです。 ちょっと癖があるというか、夏目漱石とお友達だから、ちょっと変であって当たり前か~と思ったり。 最近面白いなと思ったことは、正岡子規は、凡河内躬恒(おおしこうち の みつ)が詠んだ和歌を、「歌よみの与ふる書」の中で酷評しています。 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 (小倉百人一首第29番) 正岡子規は、「この歌は、百人一首にあるので、誰も口ずさむけれども、実は駄歌である。この歌は、うその趣向である。」 和歌の意味は、「白い花か、霜か見分けがつかないけれど、あてずっぽうでも、折ったら、茎が折れるかどうかな」っと詠っていますが、そのロマンティックな虚構が、正岡子規はお嫌いのよう。 冬を素敵に描いている和歌で、私は好きですが。 俳句と川柳も、見た目は似ています。 5‐7‐5音節で書かれ、 一番の違いは、 俳句:季語を入れる。 川柳:季語をいれなくても良い。 俳句は、"Haiku Master, Basyo!" 松尾芭蕉。 大昔に起きた東北地震のことを俳句に残したり、百人一首で詠われている、 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに (小倉百人一首第14番 河原左大臣) にちなんで、 早苗とる 手もとや昔 信夫摺 早苗とる手もとや昔しのぶずり と俳句を残したり。 昔紡がれた言葉たちが時間をかけてつながって、新しい歌ができ、日本文化が引き継がれている。 これから、現代人の私たちは、和歌や俳句をどう伝え、発展していくのだろうか~ とても興味深いです。 小倉百人一首を英語に訳し始めてしばらく経ちます。 現代詩の要素を取り入れ、和歌の英語で訳しにくい部分を、どう伝えていくか模索中です。 過去の記事、「百人一首、新しい翻訳のプロセス」を読んでいただけると、翻訳のプロセスをもっとご理解いただけるかと思います。 先週、The Arkansas International (@thearkint) のインスタライブで、和歌翻訳を読みました。 花の色は うつりにけりな いたづらに この和歌の一番好きなところは、「花の色は」が字余り(第一句が六音節の字余り)なところです。 字余りが、むなしい感(恋の悲哀、時とともに容姿の衰え)を強調しているようで、同じ女性として、小野小町の気持ちが共感できます。 では! この、字余り、どうやって英語で表現していこうかと考えた結果。 「白い空間」を使って、むなしさ感、空虚感を追求してみました。 These petals, ーーーーーyouthーーーonly passing as I think of you 緑色ダッシュで表示した、「白い空間」は2つ意味を持たせています。 #1)字余りが見せた、小野小町の感情。 #2)若さ、時間の経過。 「白い空間」の微妙な間で、youth(若さ)が漂っている感。 そのあとの、「ながめ」(物思い&長雨の2つの意をかけている)は、桜の時期に降り続く長雨、日本の菜種梅雨の季節は、花が散り、ぼやっと新緑がかすんだ景色を思い浮かべて描写しています。 インスタライブでもお伝えしましたが、最近、翻訳家の仕事の意味を再度考えるようになりました。 翻訳機能、オンライン機能は、日に日に改善されています。 だいたいの意味、要約は、外国語が読めなくとも、雰囲気はつかめるようになってきました。 しかも、20世紀に入り、英米学者、翻訳家たちは和歌の翻訳を発表しています。オンラインリサーチで、簡単に読めますし、和歌の歴史もすぐわかります。 しかし昔の翻訳は、直訳が多く、小野小町が、なぜ、最初の句で字余りを目指したのかという、細かいことは、英語読者には全く伝わっていません。 そんな中での気づきは、日本語を母国語とした女性が翻訳している和歌は少なく、英語で現代詩を勉強している、日本人も少ないことです。 和歌の翻訳。 これからも続けていきます。 小倉百人一首 ブログ記事 from Other Gorings On 短大のころからの友人に、「鈍感力を磨く」という言葉いただきました。
心にジーンとしみました。友人に感謝です。 自分に自信がないときや、 人前でお話するとき、容姿や他人が気になるとき。 周りや、自身に敏感になるより、鈍感になったほうが本当に楽な気持ちでお仕事ができます。特に、最近は、人前でお話することが増えてきたので、くだらないことを気にすることたくさんありました。 これからもっと「鈍感力」磨いていきます。 GLYPHのブックツアーでは、アイオワ州&フロリダ州へご招待いただきました。ありがとうございます。
今週末は、St. Francis Writers’ Conference で公開授業があります。 憧れていた生活が、現実化してきました。さて、いつまで続くでしょうか!! コロナ禍で、規制されていることはたくさんありますが、その中で、参加者さん達と楽しく「アートの時間」を過ごすこと目標としております。 「忙しかったのですか~」
と聞かれますが、ちょっとサボり気味だったかもしれません。 ちびちゃん達の授業も、詩のイベントもちゃんと楽しく行っていますよ!6月に発売された、GLYPHのブックツアーも始まりました。多方面からサポート頂いて大感謝です。紀伊国屋書店USAからも購入できます。よろしければ、お買い求めください。 ちびちゃん達との、英語授業もまた更新していきたいと思います。 1年半ぶりに、編集長さん達とブランチミーティングがありました。 レストランでお食事するのも、1年半ぶり。 カフェのマグカップでおいしいコーヒーを頂くのも、1年半ぶり。 皆さんに会えるのが嬉しくて、朝からはりきって、フラワーマーケットに出向き、プレゼント用のお花も用意しました。うすい黄緑色のアジサイと、小さな赤いバラを簡単な花瓶に生け、バスケットに入れてレストランへいざ出発! レストランの方は、素敵にお花をテーブルに飾ってくれました。 少しあまったので、自分用には、アジサイの葉っぱと一緒に、ママレードの空き瓶に生けて。 編集長の Virginia Bell と、ブランチミーティング後、本屋へ遊びに行ってきました。
本のプロと一緒に本屋散策は、とても楽しい! 最近、編集長は、村上春樹の「海辺のカフカ」を読んだらしいのですが、期待していた本とはちょっと違ったみたいです。私も、「1Q84」の第3巻を読み終わったとき、ちょっと腹が立って、飛行機に置いてきたよ~ってお答えしたら、 Trash-talking Murakami と盛り上がりました。 カズオイシグロの最新作は良いよ~と本屋さんが勧めてくれた瞬間、偶然にも、 "Ishiguro's Klara and the Sun is a beautiful novel / fable / myth / Toy Story / science fiction." と携帯メールに連絡が! 今、ちょうど手に取ってたところなのです。 思わず購入しました。 ここ1か月、折り紙を英語で子供達と練習しています。 折り紙は、同じ言葉やフレーズが出てくるので、繰り返し使っているうちに、自発的に言葉が出てくるようになります。 最初は、簡単なヤッコさん、定番の鶴、みんな大好きカエル、ちょっと難しい菖蒲(あやめ)、と難易度を上げていきました。 折り紙でOOを作ってみよう!
半分に折る。
山折り
谷折り
三角にする。
四角に折る。
ここに指を置く。
開ける
閉じる
私に続いてみて!
私の折り紙を見て。
上手にできてるよ!
もう一度繰り返して。
いろいろと言い方はありますが、こんな感じで覚えて頂くと、良いのではないかと思います。 しかも! フレーズを覚えると、応用が簡単にできます。 例えば: 折り紙でOOを作ってみよう! ここに指を置く。 「ここに靴を置く。」に変えたり、
「ここにカバンを置く。」 「ここにお箸を置く。」 無限に言い回しができます。 * 簡単にたくさん文章ができるので、 子供たちも 「おおおお!」 と感動してました。 「英語の本は何を読んでいますか。」 「日本語の本のお勧めはありますか。」 「What are you reading?」 とてもよく質問されます。 「英語はOO、日本語はOOを読んでるよ~」と答えると、必ず、 「どうして、そんなに読めるのですか」と聞かれます。 職業柄、読書はする方だと思いますが、もっと読んでいる方はたくさんみえます。 今回は、私なりに、効率よく本を読む方法を紹介。 方法は簡単:
紙の本をよむ:
今は、夏目漱石の「虞美人草」を読んでいます。 夏目漱石コレクションの中では、あまり人気のない小説ですが、俳句のような言葉のテンポに、落語のようにオチをちりばめながら、日常生活の会話が進んでいく。 しかもシェークスピアなどの外国文化もちょっと気取って織り込まれているので、ロンドン留学などより外国語文学に通じ、しかも、俳句&落語が堪能な夏目漱石にしか書けない小説だと思います。 やっぱり、書き物の土台「ルール」を知らないと、自分の文章出力はできないのだな~と改めて感じます。 * オンラインでさっくり読む:
RHINO Reads & Poetry Events のような時は、インターネットをつかって、効率的に読みます。2~5作品、作家インタビューや評論誌を読めば、短い時間で内容が習得できます。 Audible で聞く:
今は、Keegan-Michael Key 「The History of Sketch Comedy」を聞いています。 キーガン マイケル キーが、コメディーの歴史を、大変面白く、ローマ、ギリシャ、アフリカンアメリカン文化などを織り込みながら、お話しされていきます。 声を変えながら、Monty Python and the Holy Grail の脚本を読み上げるところなんか、大爆笑です。 この本は、今までで一番、スケッチコメディー脚本の書き方「ルール」をわかりやすく教えてくれる本でした。 The Second City で、コメディー脚本の授業を取っているので、次回、早速応用です。 最後に、YouTube で見る:
最近観たもので、大変良かったのは、鴨長明「方丈記」の朗読。 養老孟子先生も、現代を学ぶには、「方丈記」を読むのが一番とおっしゃっております。青空文庫で原書を読むよりも、ハードルが低く、しかも、琵琶の音楽も聞けて。 そのほかには、YouTube Movies: Chris Claremont's X-Men (Jun 24, 2021)もお勧めです。 1時間くらいの、ドキュメンタリー&インタビュー番組です。 Chris Claremont は、初期マーベルコミックの作家で、X-Menシリーズのキャラクターを、細部にわたって構成された方です。 それまでのスーパーヒーローとは違って、人とは違う容姿や人生の悩みが設定されており、シリーズが進むにつれ、キャラクターの背景も変わっていきます。 また、キャラクター同士の人間関係やドラマも丁寧に描かれるよう、クリスは制作されたそうです。 キャラクター設定「ルール」を学ぶのにうってつけです。 2019年より、ゲストをおもてなしする機会が多くなってきたので、お料理をちょっと真剣に始めました。
素敵なマダムから、「なおちゃん、お料理上手よ。」 と言われることを目標に。 「お料理がんばっています!」って宣言して良かったなと思うことは、 お料理に関する本、漫画、番組が勝手に集まってくるんです! Food Wars! (食戟のソーマ)漫画も読みアニメも見て、(英語版はViz Mediaから出版されています。) シェフジョンFood Wishes のメニューに挑戦。 今は、The Great British Baking Show (ネットフリックス)にはまっています。 しかも!2020年度のレシピ本が発売されたので、テクニカルチャレンジだと、勝手に思って楽しんでいます。 The Great British Baking Show 良いなと思うことは、コンテストで勝ち負けが決まるにも関わらず、ベーカーが協力したり、一緒に感激したり。 審査員も「おいしくない」「出来は良くない」とはっきりおっしゃいますが、ベーカーに敬意を込めて発言されています。 私も、「詩」に関しては、審査員の立場にあるので、The Great British Baking Show の会話+コミュニケーション観察もして、「こういう言い方があるのか!」と思いながら、今度は、あのカラフルなメレンゲに挑戦してみようとか楽しみが増えています。 |
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May 2024
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