小倉百人一首を英訳している過程で、大学受験生用のウエブサイトはとても役に立ちます。 日本は、要点を素敵にまとめた学習サイトがたくさんあって、勉強家な国なんだな~と思います。 今回は、枕詞をどうやって訳したかプロセスをお伝えしようと思います。 枕詞とは、和歌の初句に置かれ、その後に出てくる特定の言葉を導くため。 受験用ウエブサイトでは、有名な枕詞がリストしてあります。 あかねさす→日 あしひきの→山 あをによし→奈良 いそのかみ→降る、古る うつせみの→世、命 くさまくら→旅 たらちねの→母 ちはやふる→神 ぬばたまの→夜、夢 ひさかたの→天、空 小倉百人一首第17番、在原業平の ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは という歌では、 枕詞は、ちはやふる 。 神という言葉を導いています。 ここで、興味深いことは、「枕詞自体に意味はないので、訳出する必要はありません。その代わり、枕詞が導いている言葉は確実に訳出するようにしましょう。」 と、参考書、小倉百人一首教科書には書かれているのです。 大学受験やテストでは、枕詞と導かれる言葉を覚えるだけでよいですが、 「ちはやふる」って、とても素敵な言葉だと思います。 さて、 どうしましょう。 和歌の要約は、 神様たちが生きていた時代にも聞いたことがないくらい、龍田川の水が絞り染め(くくり染め)のように紅色に染めあがって美しい。 枕詞は、ちはやふる で、神が導かれていますが、ここの「神」という言葉は、外国と日本文化では、受け取り方がまったく違うことです。 世界各国の「神」は、おおむね一神教。 日本は、万の神。 「God」という一神教の言葉を英訳にいれると、パワフル過ぎて、「訳出する必要のなり枕詞」をものすごくハイライトすることになります。 それはちょっとこの和歌の意味ではないかなと感じ。 天国ー天界という意味を込めた、Flaming heaven を使うことにしました。 Flaming heaven は空想的で、「ちはやふる+神」を表すのに面白いのではないか。 さて、
私が好きな翻訳家たちは、どうやって枕詞を訳しているでしょうか。 Kenneth Rexrothは、「Gods」と複数形にして、万の神を表しています。
特徴的なテクニックは、翻訳にBlueが入っているので、川の「青」と紅葉の色をコントラストして、染め物を表現しているのが、視覚的です。 Dennis Maloney and Hide Oshiroの訳は、「God」という言葉は入っていません。
赤が red ではなく、crimson と表現されています。 私も、crimson (a rich deep red color inclining to purple) のほうが、この場合の和歌に似合っているのではないかと思います。 Peter J. MacMillan は、Beautyとはっきり最初の一行に表現してあります。 赤と色を決めず、autumnal colors と訳しているところが、外国人読者にもすぐわかる、秋の描写だと思います。 そこで、和歌は、5‐7‐5‐7‐7の音節ですが、 5行 1節 5 lines 1 stanza で翻訳家のみなさんは、表現されています。 日本語音節5‐7‐5‐7‐7を、英語音節 syllables にしっかり受け継いでいる方も多いです。 私は、英訳に、日本語の音節ルールを当てはめる必要はないと思います。 なぜなら、外国語の音節を重視過ぎるばかり、大切な、英語の美しい響きを無視する可能性があるからです。 和歌は、歌。 やっぱり、音楽的響きが大切なのではないかと。 しかも! 「つまらないぜ。」 って、いつも思っていました。 例えば、百人一首の書道は、 ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは と一行表現だったり、 ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは 2行だったり。 ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは 5行だったり。 もちろん、紙のサイズや、文字の形、本のレイアウトの関係もありますが、「これでないといけない」という決められたルールはありません。 しかも、この和歌は、龍田川の擬人化と、「水くくる」という言葉が、美しさを強調していると思うのです。 「水くくる」は、水をくくり染め(絞り染め)をすることです。 「水」は、漢字。 「くくり」は、ひらがな。 文字の絶妙バランスは、まるで川の流れや絞り染めをも表現しているよう。 龍田川さん(擬人化)は、川の水で、絞り染めパターンを作っている。 って感じしょうか。 みなさん翻訳家さんたちは、主語に龍田川を使用して擬人化を強調しています。 しかし、絞り染めの様子、川の流れ感は、5行1節からは、想像できません。 なので! 今回の翻訳は、 龍田川の擬人化 (Tatsuta River) と「からくれなゐに (foreign crimson)」の色を独立、強調させて、 flows concentrically dyed と、川の流れ、くくり染め絞りの様子を、ラインブレイクで表現してみました。 最近、「なおこは、和歌の翻訳をしている」と my tribe (詩人仲間) に広まって、俳句の授業だったり、和歌文化についてスピーチがあったり、英米式俳句の編集に携わったりしております。 日本文化のお話をする機会をいただいて大感謝です。 日本語を母国語としない作家さんたちは、「俳句」「随筆」は、けっこう知っています。 俳句=松尾芭蕉 随筆=エッセー=兼好法師、清少納言 こんな感じで、 "Haiku Master, Basyo!" "Zuihitsu, The Pillow Book! (枕草子)" みなさん、アメリカンなノリで答えてくれます。 そして、ちょっとマニアックに、小野小町や、光源氏のモデルと言われている藤原道長を知っている方は、絶対に聞いてきます。 和歌、短歌、俳句、川柳の違いを教えてくれ! ちょっと間があって。 簡単に! 異国の文化なのに、探求心があって、みなさん素晴らしい。 でもこの質問。急に来られると困っちゃう。 日本人でも、違いがすぐに答えるのは難しい! 和歌
和歌文学は、俳諧文学と同じく、日本独特の短詩型文芸です。 5-7-5-7-7の音節で、合計37文字で構成されています。 「ひらがな」ができた平安時代初期に、万葉仮名に代わって、たくさんの和歌が詠われるようになりました。 藤原定家がまとめた、「小倉百人一首」は、和歌の代表作ばかりです。 音節は、syllables と英語では言いますが、日本語と英語の音節の数え方はまったく異なるので、直接に和歌のルールを、英語に当てはめるのは、難しいかと思います。 しかも!
翻訳するのにどう表現するか、時間がかかる言葉たちでもあります。 余談ですが、 このYouTubeでは、百人一首を当時の発音で朗読されていて、今の日本語の発音と全然違います。 なんだかおちょぼ口でお話している感じ。 かわいい。 和歌は、短歌・長唄・旋頭歌(せどうか)などの総称でしたが、長唄・旋頭歌に比べ、時代と共に生き残った和歌と短歌は同じ扱いになっているようです。 短歌も、和歌と同じ5-7-5-7-7の音節です。 短歌といえば、正岡子規です。 正岡子規の作品は、青空文庫でたくさん読めます。 個人的には、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に出てくる、正岡子規が好きです。 ちょっと癖があるというか、夏目漱石とお友達だから、ちょっと変であって当たり前か~と思ったり。 最近面白いなと思ったことは、正岡子規は、凡河内躬恒(おおしこうち の みつ)が詠んだ和歌を、「歌よみの与ふる書」の中で酷評しています。 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 (小倉百人一首第29番) 正岡子規は、「この歌は、百人一首にあるので、誰も口ずさむけれども、実は駄歌である。この歌は、うその趣向である。」 和歌の意味は、「白い花か、霜か見分けがつかないけれど、あてずっぽうでも、折ったら、茎が折れるかどうかな」っと詠っていますが、そのロマンティックな虚構が、正岡子規はお嫌いのよう。 冬を素敵に描いている和歌で、私は好きですが。 俳句と川柳も、見た目は似ています。 5‐7‐5音節で書かれ、 一番の違いは、 俳句:季語を入れる。 川柳:季語をいれなくても良い。 俳句は、"Haiku Master, Basyo!" 松尾芭蕉。 大昔に起きた東北地震のことを俳句に残したり、百人一首で詠われている、 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに (小倉百人一首第14番 河原左大臣) にちなんで、 早苗とる 手もとや昔 信夫摺 早苗とる手もとや昔しのぶずり と俳句を残したり。 昔紡がれた言葉たちが時間をかけてつながって、新しい歌ができ、日本文化が引き継がれている。 これから、現代人の私たちは、和歌や俳句をどう伝え、発展していくのだろうか~ とても興味深いです。 小倉百人一首を英語に訳し始めてしばらく経ちます。 現代詩の要素を取り入れ、和歌の英語で訳しにくい部分を、どう伝えていくか模索中です。 過去の記事、「百人一首、新しい翻訳のプロセス」を読んでいただけると、翻訳のプロセスをもっとご理解いただけるかと思います。 先週、The Arkansas International (@thearkint) のインスタライブで、和歌翻訳を読みました。 花の色は うつりにけりな いたづらに この和歌の一番好きなところは、「花の色は」が字余り(第一句が六音節の字余り)なところです。 字余りが、むなしい感(恋の悲哀、時とともに容姿の衰え)を強調しているようで、同じ女性として、小野小町の気持ちが共感できます。 では! この、字余り、どうやって英語で表現していこうかと考えた結果。 「白い空間」を使って、むなしさ感、空虚感を追求してみました。 These petals, ーーーーーyouthーーーonly passing as I think of you 緑色ダッシュで表示した、「白い空間」は2つ意味を持たせています。 #1)字余りが見せた、小野小町の感情。 #2)若さ、時間の経過。 「白い空間」の微妙な間で、youth(若さ)が漂っている感。 そのあとの、「ながめ」(物思い&長雨の2つの意をかけている)は、桜の時期に降り続く長雨、日本の菜種梅雨の季節は、花が散り、ぼやっと新緑がかすんだ景色を思い浮かべて描写しています。 インスタライブでもお伝えしましたが、最近、翻訳家の仕事の意味を再度考えるようになりました。 翻訳機能、オンライン機能は、日に日に改善されています。 だいたいの意味、要約は、外国語が読めなくとも、雰囲気はつかめるようになってきました。 しかも、20世紀に入り、英米学者、翻訳家たちは和歌の翻訳を発表しています。オンラインリサーチで、簡単に読めますし、和歌の歴史もすぐわかります。 しかし昔の翻訳は、直訳が多く、小野小町が、なぜ、最初の句で字余りを目指したのかという、細かいことは、英語読者には全く伝わっていません。 そんな中での気づきは、日本語を母国語とした女性が翻訳している和歌は少なく、英語で現代詩を勉強している、日本人も少ないことです。 和歌の翻訳。 これからも続けていきます。 小倉百人一首 ブログ記事 from Other Gorings On 短大のころからの友人に、「鈍感力を磨く」という言葉いただきました。
心にジーンとしみました。友人に感謝です。 自分に自信がないときや、 人前でお話するとき、容姿や他人が気になるとき。 周りや、自身に敏感になるより、鈍感になったほうが本当に楽な気持ちでお仕事ができます。特に、最近は、人前でお話することが増えてきたので、くだらないことを気にすることたくさんありました。 これからもっと「鈍感力」磨いていきます。 GLYPHのブックツアーでは、アイオワ州&フロリダ州へご招待いただきました。ありがとうございます。
今週末は、St. Francis Writers’ Conference で公開授業があります。 憧れていた生活が、現実化してきました。さて、いつまで続くでしょうか!! コロナ禍で、規制されていることはたくさんありますが、その中で、参加者さん達と楽しく「アートの時間」を過ごすこと目標としております。 |
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June 2024
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