形容を記するはなるべく詳細なるを要す。我が国の小説の如きは、従来細密なる挿絵をもて其形容を描きいだして、記文の足らざるをば補ふゆゑ作者もおのづから之に安じ・景色形容を叙する事を間々怠る者すくなからねど、是れ甚だしき誤りなり。小説の妙は、特り人物をして活動せしむるにとどまらず、紙上の森羅万象をして活動せしむるを旨とするものなり。 この段落を読んだとき、自身のグラフィックポエトリープロジェクトは、自然と日本文化の流れを受け取っているのだなあと再度思いました。 絵巻に感化され、2016年より、英語で書かれた自詩を「言葉+絵」に変換しています。 "GLYPH Graphic Poetry = Trans. Sensory" (Tupelo Press) はおかげさまで、たくさんの方々に読んでいただいております。ありがとうございます。 左側、"Thursdays"の英詩は、オレンジの部分が言葉として残り、右側の"On a Black Hill"グラフィックポエトリーに変換されています。 面白いなと思ったことは、右側のように、絵に移行された部分は、主に「名詞」や「形容詞」でした。 坪内逍遥は、従来の日本の物語にて、形容詞などを使って主人公や背景を描写するのではなく、絵を使って形容詞を表現していることを怠慢と言っています。 歴史的な絵巻も、話+絵と交互に成り立っていて、絵は、お着物の色や、小物、花、スポットライト風の背景色使いによって、ストーリーを補助しています。 源氏物語も絵の部分は、話を理解するうえで大切なことと専門家の先生方はおっしゃっています。 話+絵がバランス良く配合されている、日本独特の絵巻物語手法は、怠慢というべきか。 話と絵の手法は、ヨーロッパ文学でも多く見られます。ダンテの新曲も絵で地獄階層を説明していますし、ウイリアムブレイクの詩にも挿絵がついています。 ただ、話と絵が別々に存在していると思います。 日本の絵巻のように、話+絵が一体化はしていません。 話+絵の共存。 これからも考えていきたいと思います。 坪内逍遥「小説真髄」
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June 2024
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