「小説真髄」を読んでいると、いろいろ考えさせられることがあります。 お仕事上、アジア各国から提出された、英語に訳された詩を読んで、雑誌に掲載されるかどうか意見を問われます。 その時、だいたいの英翻訳は、なんだかしっくりこないのです。 きれいな情景だったり、アジア特有の美だったり。 素敵な詩は、山ほど送られてきます。 でも、なぜ、アジアから提出される英翻訳された詩は、違和感があるのだろうと。 坪内逍遥の「小説真髄」で、優れたヨーロッパの作品は、口語体で、人情(ありのままの心)が書かれているとしています。 例えば、現代のベストセラー米詩人Ocean Vuong (オーシャン ヴュオン)の作品は、口語体で、ありのままの自己・心情が描写されています。英語文型は、とてもシンプルなのですが、流れるような音フレーズで書かれています。 バイデン新大統領の就任式で詩を朗読した、Amanda Gorman(アマンダ ゴーマン)も口語体で大衆の希望の心を代弁している詩を書いていると思います。 もし、欧米で受け入れられる詩が、「口語体で人情の表現」であれば、アジアの詩は、「人情」がない、情景描写だけの詩も多いので、さて、どうしたらもっと英米読者に支持されるようになるか。 写実主義の正岡子規の俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」を直訳したならば、「人情0」です。 「四季や人生を感じる」とか、「子規の病気のこと」とか、この一句の背景をご存じであれば、「人情0」ではないよと、反論される方も多いでしょう。 そこで、思い出したのが、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したおはなしです。 最初に生徒が「我君を愛す」と日本語に訳したところ、夏目漱石は、「日本人はそういうことを言わないから、月が綺麗ですねにでもしましょう」と提案されたそうです。 日本語では、 「我君を愛す」は文語体。 「月が綺麗ですね」は口語体。 夏目漱石は、日本の文化と、口語体を考慮して、「月が綺麗ですね」と翻訳プロセスを踏んだとしたら、アジア文学を英翻訳するには、この逆のプロセスをたどれば良いのではないかと。 文語体 (漢詩、和歌、万葉仮名など)で書かれた「人情」が直接表現されていない詩は、口語体で「人情」を含めた解釈で翻訳すればよいのではないかと。 「小説真髄」もう少しかじりついていきたいと思います。 坪内逍遥「小説真髄」
0 Comments
Your comment will be posted after it is approved.
Leave a Reply. |
About NaokoArchives
June 2024
|