つい最近、落合陽一さんと、富永愛さんの対談を聞きました。
「反骨精神は、多様化社会に必要か。」 とお話されていました。 多様化社会に、反骨精神は矛盾しているのではないかと。 富永愛さんは、モデルのキャリアを始めた高校生時代から、反骨精神を持って戦ってきたと対話されていました。 私は、冨永愛さんとは同い年で、高校3年生のときに初めてひとりでオレゴン州ポートランドへ夏期留学して、英語で文章を書き始め、「戦闘モード」が始まった頃です。同じような時期から、海外に出て戦っている素敵な人と、勝手に親近感を抱いております。 それで、反骨精神を自分なりに考えてみると、「価値観を押し付けてくる人達との闘い」ではないのかなと。 苦手だった家庭科の先生たち。 一度、家庭科の先生は、「将来子供を産みたくない人手を挙げなさい。」とおっしゃったことがありました。 クラスで手を挙げたのは2人。 先生は、「理由をいいなさい。」と。 少女漫画の投稿をがんばっている彼女たちは、漫画のキャリアを追求したいようなことを述べましたが、先生は、「女性は子供を産むべきです。」と強い口調でお話を続けられました。 いつもは、静かで、クラスカースト下の下の私でしたが、その時ばかりは、無性に腹が立って、先生に、 「それは、00さんたちの選択で、先生にはまったく関係のないことです。」 その後、私は叱られた記憶があるのです。 多様性を受け入れ考えることも大切ですが、「女性は子供を産まなければならない」などと価値観や義務感を押し付けられたら、反論があって当然だと思います。それが、反骨精神かなあと。ただ、反論は、エネルギーを使うので、まだ、若かった私は、無駄なエナジーを家庭科の先生に注いでしまったわけです。 「もし、それが望まない妊娠だったらどうするのですか」とも、家庭科の先生に食いついてしまったわけですが、アメリカの州では、どんな理由であれ、中絶禁止な州もあります。 「母親になること」や「女性として」などと考える機会があると、必ず家庭科の先生たちを思い出してしまいます。もし、先生たちが、「お母さんにならない女性もありだよね~」などなどと多様性価値観を持っている先生たちなら、もしかしたら私は、「反骨精神」を学ばなかったかもしれません。 他に、「反骨精神エピソード」を自分なりに探してみると、 「日本人には英語ができない。」と外国の方々がおっしゃると、 「日本人でも英語はできるようになる。私が証拠じゃ。」と大声で言いたくなるときもあります。 同じく、自身のエネルギーを使う方向が、またまた間違っているのかもしれません。 Comments are closed.
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